レオナルド・ダ・ヴィンチの終の棲家はフランスの「クロ・リュセ城」

ダビンチ イタリア関連

紫バラ
レオナルド・ダ・ヴィンチの終の棲家はフランスの「クロ・リュセ城」。皆さんご存じですか?な、なんで、あれほど有名なイタリア人が、フランスへ。

イタリア!イタリア!イタリア!愛する我が母国、それほど愛してやまないイタリアを離れた、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」。現代でも彼の、才能、名声、美に対するあふれる情熱が、世界中の人から尊敬の念を抱かれていると思います。そんな、彼の終の棲家は、フランスの「クロ・リュセ城」であったのです。

若きフランス王の招きを受けてダ・ヴィンチは、イタリアを離れることを決意しました。それは、1516年夏、64歳であったと言います。そんな、老年期になって、なぜ?母国イタリアを離れなければならなかったのかと思うと、とても切ない気持ちでいっぱいになりました。
世界中の人々が憧れている「レオナルド、ダ、ヴィンチ」の生涯の中でも、今回は、特に、「レオナルド・ダ・ヴインチ」の終の棲家の「クロッセ城」、フランスに住むことになった由来、そして「ダ・ヴィンチ」のプライベートルームの寝室や室内の様子などを詳しく紹介します。

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レオナルド・ダ・ヴィンチの終の棲家フランスの「クロ・リュセ城」

レオナルド・ダ・ヴィンチの終の棲家フランスの「クロ・リュセ城」について紹介します。

フランスの「クロ・リュセ城」

フランスの「クロ・リュセ城」について紹介します。この城は 12世紀の建物を基礎に、1471年建造した、世界遺産です。
ここは、フランス中部、ロワール川流域に沿って広がるトウーレーヌ地方にあります。フランス王フランソワ1世が城を構えたアンボワーズの街があります。1516年~1519年この城で「ダ・ヴィンチ」は3年間を過ごしました。

「クロ・リュセ城」は、1854年にサン・ブリス家の所有となりました。現在は一般公開されていますので、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の住んでいた部屋の室内の様子を紹介できるようになりましたよ!

見た目はとても上品なお城です。レンガ色がとても美しく、緑に囲まれた自然豊かな地にお城はあります。

バラ色の館に入り口に入りますと、国王と語り合った広間やアトリエが皆さんをお迎えしてくれます!。暖房もあり、レンガの床。また、窓枠の木の風合いもとても素朴で素敵です。窓枠の中には、ハチの巣のようなモダンなガラス窓のデザインがとてもモダン、おしゃれ!

写真で見ただけですが、このデザインにはガラスを暴風や雨また、耐震からも守っていると思います。建物の耐震のことを考えての造られていると思います。実際に訪問した時にはガイドさんに詳しく聞いてみたいですね

私の実家が百貨店のブランドの内装、特にガラスのショーケースや、ミラーなど高級ブランド店もかかわって仕事をしていますので、わたし自身、ガラスや、エッチング、インテリアには大変興味があります。小さい頃から、とてもヨーロッパに憧れていて、フランス語を専攻していました。なぜかイタリアローマに住むこととなり。今ではイタリアが大好きで、*美しイタリア夢・憧れを持ち続けて*をFBで2年半も毎日投稿しておりました。イタリア人の方より、「わたしのほうがイタリア人だ!」と何度も言われたことがあります。((笑))
求めよ、されば与えられんと情熱だけで、人生を楽しんでいるからかな!

皆さんいつか、一緒に「クロ・リュセ城」を見学してみたいですね。ワインを飲みながら、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の息吹を感じることが出来ればとても幸せです。

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レオナルド・ダ・ヴィンチとフランソワ1世の絆

ピングのバラ

レオナルド・ダ・ヴィンチとフランソワ1世の絆について紹介します。「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が、なぜ?イタリアから、晩年にさしかかった時期に、フランスへ来た理由をお伝えします。

その理由は、フランソワ1世は、「ダ・ヴィンチ」に作品制作をしいることなく、手厚い援助をつづけたこと。国王は、「ここで考えるのも、夢想するのも、働くのもあたなの自由だ!」と伝えていたそうです。とてもいごごちが良かったと思います。

ここで「ダ・ヴィンチ」は思いのまま研究に取り組み、あの有名な{モナリザ}{洗礼者性ヨハネ」に筆を加えたそうです!。また、このお城の宮廷の饗宴もプロデュースしました。国王のご友人達も「レオナルド・ダ・ヴィンチ」がプロデュースするパーティには、とてもわくわくし、ときめきとともに、感動と驚きがあつたこと思います。
どんなにか華やかなことだったことでしょう。国王自身がイタリアについてとても好奇心があり、イタリアからまるでスターがフランスにやってきたような、おもてなしもしてくれたのではないかと思います。なぜなら、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」自身が才能豊かなイタリア人であり、相当なおしゃれな達人で、今でいうインフルエンサーのように、ファッションもとてもおしゃれで、バラ色のチュニックをきてフレンツエの街を友人とよく散策していたそうですからね。

イタリアもフランスも美の大国と言われています。のちに、メディチ家の姫もフランス国王にお嫁入するのは、また今度のお話にします。

国王自身が「我が親愛なる父」と呼んでいた!よほど尊敬の念を持っていたことと思います。イタリア文化にわくわくしんがら「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の話を聞いていたと思うと、なんだか親しみを感じとても嬉しくなりました。

皆さん、フランス、イタリアの旅、いっかご一緒しませんか!ミラノのお城をたってから、フランスのこの地を踏めば、晩年の彼の気持ちをこころの底から味わうことができると想うから・・・

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」がフランスへ来た理由とは?

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」がフランスへ来た理由をお伝えします。

当時のフランスではイタリア文化への関心がとても高まっていた時期でもありました。時は、ルネサンスが起きようとしていたのです。この時期、フランソワ1世もイタリア宮廷文化への憧れを募らせていました。
国王は、とてもルネサンスの美に魅了されていました。理由は、この時期国王は、イタリア戦争の中に王位についたのです。この戦争で、フランソワ一世は、1515年にミラノを占領して、スフォルツア(Sforza)家を追放してしまいます。そこで、ミラノのスフォルツァ家に仕えていたレオナルドをフランスに呼び寄せたのが、フランソワ一世でした。

唯一、私としては、愛弟子のフランチェスコ・メルツイとともにフランスへ一緒に行けたことが良かったです。そうでなければ、あまりに孤独すぎます。イタリアを離れることは、とてもつらかったこととお察しいたします。このような晩年な時期であれば、やはり、2度ともうイタリアの地に帰ることはあるまいと感じていたはずですから・・

フランソワ1世は、「ダ・ヴィンチ」を招いたのも、このイタリアに対する熱い想いだったのでしょうね。フランソワ1世は、「クロ・リュセ城」から約 450メートル離れた「アンボワーズ城」に住んでおり。国王は、両城を繋ぐ地下通路をくぐり、日々、「ダヴィンチ」の住む「クロ・リュセ城」に向かっていたといいます。毎日イタリアの歴史な流行、文化など沢山のお話を毎回特別に聞けたのでしょうから、わくわくしながら通ったと推察いたします。

自分自身を尊敬している、父とまで慕う国王の庇護のもと。思う存分、絵を描くことができる。芸術家として、また、技術者、また建築家としても活躍し続けていた!それは、それは、フランスでの生活は、とても充実した日々を送れていたのではないでしょうか!

信頼関係と強い絆がある友人と一緒に日々過ごすことは、最高の人生の一つの喜びでもあると思います。

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レオナルド・ダ・ヴィンチのプライベートルーム

「レオナルド・ダ・ヴィンチのプライべートルームを紹介します。

寝室の暖炉には、フランスの紋章が飾られていますよ!小礼拝堂の壁には4点のフレスコ画が描かれていて。このフレスコ画は、「ダ・ヴィンチ」の弟子たちが描いたとされています。書架には専門書が並んでいます。毎夜ロウソクの明かりだけで、勉強や研究をされていたのでしょうか!ここで素敵だな~と思ったのが、現代で言う、本を立てて読める本立ての木枠テーブルがお部屋に置かれていました。
丸いテーブルなのと、とてもチャーミングでお品がいいです。その真ん中のから木の縦棒をとうしたその上に、本立てが組み立ててあるのです。その時代の職人のセンスの良さを感じます。多分「レオナルド自身がデザインしたと思いますが・・」こんなことをガイドさんから詳しく聞きたいな。

また、「レオナルド」は、菜食主義者であるため、料理人は、美味しい野菜スープを作っていたそうです。最後の手稿の言葉、それは「ここまでにしておこう」スープがさめるから・・だったそうですよ!
まだ、まだ、研究することや、書き残したい内容もあつたように感じてなりません。とても穏やかな日々をおくっていたのだと想像できる、一文にとても感銘をうけました。

また、「ダ・ヴィンチ」の温かな人柄を感じさせる、エピソードもありました。それは、料理人の方に毛皮付きの上質なマントが贈られていたそうです。彼の遺言によるものと聞いて、料理人の方との信頼関係や、とても言葉だけでは表すことができない感謝の念も感じます。それは、とても大切お品物だからこそ、特別な人に贈りたいという気持ちだったと思えてならないからです。

王の城へと通じる地下通路もあり。奥にに朱オレンジカラーの布を纏った「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の姿も見えます。また、フランソワ1世の柔らかな表情の胸像(ヴェッセ作)も設置されていますよ。

皆さん、是非、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が晩年過ごした「クロ・リュセ城」の彼のプライベートなお部屋を訪問してみませんか!お二人の過ごした特別な時間も私たちも感じることができると思います。そして、あのルネサンスの時代へ一緒に飛んでいきましょう。

フランスの「クロ・リュセ城」の住所

フランスの「クロ・リュセ城」の基本情報は以下の通り。

住所:2rue du Clos Luce Amjboise
☎(02) 47 57 00 73
問い合わせ(9時~17時季節により変動)
無休、 料金€ 16
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まとめ

世界中の人々が憧れている「レオナルド、ダ、ヴィンチ」の生涯の中でも、今回は、特に、「レオナルド・ダ・ヴインチ」の終の棲家の「クロッセ城」、フランスに住むことになった由来、そして「ダ・ヴィンチ」のプライベートルームの寝室や室内の様子などを詳しく紹介しました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの終の棲家はフランスの「クロ・リュセ城」。

イタリア!愛する我が母国、それほど愛してやまないイタリアを離れた、レオナルド・ダ・ヴィンチ」。現代でも彼の、才能、名声、美に対するあふれる情熱が、世界中の人から尊敬の念を抱かれていると思います。

1516年~1519年、64歳であったそ老年期になって過ごした、フランスでフランソワ1世から受けた本当の意味での人間の愛、尊敬の念は、彼自身どこにいても感じることができなかった幸福感に溢れていたと思います。ルネッサンス時代には、星の数のスターがいて、彼はパトロンなどにもあまり恵まれていなかったから・・・
この場所には、かの有名な「モナリザ」も生涯をとうして彼自身のそばに置いていたそうです。それほど彼を魅了した絵の主人公だからこそ、「モナリザ」は、今も世界中の人々から愛され続けていることでしょう・・

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