メディチ家紋章の由来とは、博物館でみた彫刻はメディチ家出身か?

彫刻 イタリア関連

イタリアをこよなく愛する札幌在住のイタリアカタリーナ!(イタリアを語る者)です。メディチ家の紋章の由来を知りたくなりました。14世紀後半以降にフィレンツェに現れたメディチ家についてとても興味をもっていたのです。

その理由が、ミラノの美術館でみた彫刻から生身の人間が発するエネルギーを感じたからです。薄暗い室内でわたしは彼を正面から向き合うこと15分。われを忘れて、イタリア語で、「貴方様はどなたでしょうか?」と何度も訪ねました。

顔の表情がとても豊かで、目の奥から生身の人間の輝きさえも感じてしまうほど、魅了されました。とても高貴な方と見受けられました。

そのお方のかぶっていたお帽子に丸い粒が何個も付いていたから、とても興味がわいたんです。

本日はメディチ家紋章の由来を知りたいと思ったのは?

もしかしたら、彼が、メディチ家出身のかただったらいいな!なんと思いながら、彼自身と深く向き合いたいと思っていたから。

今日は、メディチ家の紋章や、メディチ家出身の法皇様についてお伝えします。

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メディチ家の紋章の由来

メディチ家の紋章の由来は諸説があります。この紋章の意味を調べていきまと。どうやら、二つの有力の説があるとのこと。やはり、メディチの名前の由来(医師ないし、薬種商)を意味しています。また、赤い球は、丸薬という説もあります。

紋章のオーソドックスなものは、背景が金色(黄色)に6つのボールがついているものです。

何種類か、ボールの個数が違う紋章がたくさんあり

・ボール 3つ
・ボールが6つ+冠+鍵
・ボールが6つ+冠+羽
・ボールが6つ+王冠
・ボールが7つ
・ボールが8つ

*実はこの紋章、全て同じ時代に使われたものではなく、時代ごとに違うものが使われていました。

古いもの順番というと・・・

どうやら、両替商組合は、1200年代頃からフィレンツェの街に存在し、街の政治に関して大きな権力をもっていたそうです。

メディチ家がフィレンツェで台頭してきたのは1300年代の後半だから・・

メディチ家の紋章よりも両替商組合は古くからあった!

ということは、メディチ家の家業は、銀行業。両替商組合とはとても深い関連があったという説もあります。

メディチ家の祖先が医師または薬屋だったので、丸薬を表している。
メディチ家は、中世から大きな権力をもっていた両替商組合に所属したため(両外相組合の紋章
がよく似ている)

などと、諸説はあります。

どうやら、昔の薬の丸薬の色は、赤かったようです。

やはりメディチ家の職業が医師とか薬種商に始まったという説は否定できないとわたしは、思います。

それと、わたしの意見ですが、名前にすでにメディチが使われているところを見ますと、確かに出身地からとか職業を表していることも多いと思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチもヴィンチ村のレオナルドという意味からと言われています。

フィレンツェの街歩きしたら、この紋章がたくさんあり、本当に驚きました。

皆さんと一緒に、フィレンツェ街を歩きたいです。ミステリーツアーなどもあるそうですから、とても楽しいでしょうね。

イタリアで、是非、ご一緒しましょう。場所は、うーん、ヴェッキオ宮殿前のダビデ像前でいかがでしょうか!

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メディチ家出身のローマ教皇

ついにメディチ家からローマ教皇に上り詰めた人がいます。それは、「レオ10世」。メディチ家出身ではじめてローマ教皇になった人です。

レオ10世は、ロレンツオ・イル・マニフィコ(Lorenzo il Magnifico/ロレンツオ豪華王/

1449~1492)の次男です。レオ10世は父ロレンツオから「賢い」と言われたいました。

わたしも両親から、言われたかったです。(笑)

レオ10世は、生まれた時からとても裕福な家に育ちました。また、美しい芸術作品にめがない典型的なおぼっちゃまだったから・・・

お金の使い方が上手でなかったそうです。ここまでなら、金持ちおぼっちゃまと笑いとばすところなのですが・・

皆さん、このお方は、ご存じのように、ローマ教皇にまで登り上がった方ですよね。それが、・・!

結果、ローマ教皇庁のお金を使いすぎてしまい、あの悪名高い「免罪符」発行させてしまいました。

そうか、ここから宗教改革の波を呼びおこしてしまったのか。

たった一人の浪費が、世界中を揺るがすことに、なるなんて本人さえも思わなかったでしょうね。

父であり、豪華王と呼ばれていた、ロレンツオ様は、天国からきっと嘆き悲しんだことだと思います。

現在でも宮殿の外壁や、美術作品の中など、フィレンツェの街にはいたるところにメディチ家の紋章をみることができますよ!

フィレンツェ市のマークが「赤い百合の花」なので、カーニバルにつかわれている旗には、百合の赤い花の紋章が描かれています。

フィレンツェのお祭りの日(守護聖人サン・ジョヴァンニの日)中世の衣装を纏う人々が街を行進します。

その時!

美しく都フィレンツェを讃えて、空高く舞う百合の紋章がみえるんです。

どんなにか、市民の方たちは、その瞬間を待ちわびていることでしょう!

フィレンツェの街を愛する気持ちとフィレンツェ人としての誇り高さを讃えているから!

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まとめ

14世紀後半以降にフィレンツェに現れたメディチ家についてとても興味を持っていました。なぜなら、メディチ家の人々がフィレンツェ市民からとても愛されていたからです。本日は、メディチ家の紋章の由来と、メディチ家出身からなり上がったレオ教皇について書きました。

その理由は、ミラノの美術館でみた彫刻から生身の人間が発するエネルギーを感じ、その方の帽子にメディチ家出身の紋章がついていたような気がしたからです。

わたしは、この彫刻がイタリア中の中で、一番魅力を感じています。

実際に生身な人間が絶対に中に入っていると確信するような、気配させ感じたのです。

顔の表情がとても豊かで人間性あふれ、知的で情熱的な人だっとと推察します。

このお方の写真を胸に、次回イタリアは旅立つ時には、この方がどなたなのか?
美術関係者の方に調べてもらいます。生涯かけてやり遂げたい一つのわたしのミステリーなんです。

本日はメディチ家紋章の由来を知るることで、彼自身と深く向き合いたいと思っていました。失礼ながら、とても高貴な人ですけど、今日のお写真のお顔には笑顔が感じられます。(写真投稿して喜んでくれたみたいです。)

イタリア旅行したら、メディチ家出身のレオ法皇様にも挨拶したいです。(美術館に肖像画があるこまも)

今日の記事をとうして、イタリアを身近に感じて頂けたらうれしいです。フイレンッエ!でお会いしましょう!

 

 

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